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第30番札所

こうざくざん だいえんじ

広嶽山大円寺

●住所:長崎県五島市三尾野町1306
●TEL 0959-72-2569
●本尊:釈迦如来
●脇仏:文殊菩薩、普賢菩薩
●宗派:曹洞宗
●真言
 のうまく さんまんだ ぼだなん ばく

◆手洗い/有、トイレ/無、駐車場/10台程度 ◆場所
三尾野交差点より福江富江線に入るとお墓が見えてくるのでそこに寺がある。

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◆歴史
第9代宇久勝(まさる)が1403年松月庵(しょうげつあん)を現在地に建て、第17代盛定が大永年間(1521~1527)に再興して広嶽山大円寺と改称した。現在も五島における曹洞宗の本山である。玉之浦納の乱を原因としてそれまで清浄寺が 菩提寺であったのを当寺に変え、第9代以降の歴代領主の遺骸を合葬した(第19代純堯・第32代盛主(もりぬし)を除く)。

◆特徴
・細御寮の墓:第十九代純堯とお市の方との間に生ま れた人で、五島一の美人といわれた女性。伝説がある。 ・第二十一代五島玄雅の逆碑※5:秀吉の命により朝鮮へ出陣する際、再び帰れないかもしれないので、あらかじめ自分の死後の冥福を祈る仏事をして建てた石碑。 ・東墓地(本堂の隣の墓地):第十六代(囲かこむ)から二十五代(盛暢もりのぶ)までの墓地(ただし、十九代純堯(すみたか)の墓は清浄寺にある) ・西墓地(川を渡った所の墓地):第二六代(盛住もりよし)から三三代(盛光)までの墓地。三十二代盛主(もりぬし)の墓は東京麻生の吉祥寺にある。 ・河童伝説:大円寺の側に水神宮がある。一七二三(享保八)年江戸の五島家上屋敷が類焼した。そこでときの藩主第二十六代盛住(もりよし)は火の用心のために、この神社の分社を同屋敷内に建てた。ある時、隣屋敷の小田原藩主大久保家に火災が起こり、まさに五島邸に燃え移ろうとした寸前、突然五島邸より大勢の消防手が現れ、またたく間に火を消し止めた。その消防手は人間ではなく、水神社のかっぱであったと江戸中の大評判になったという。 ・山門に残る。 ※5逆碑とは:「逆」には「あらかじめ、まえもって」の意味もある。したがって、逆碑とはその人の存命中に建てる碑のことである

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山号額は盛定公の直筆と伝えられている
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東墓地
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東墓地
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西墓地
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西墓地
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西墓地
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西墓地
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西墓地
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西墓地
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西墓地
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