五島札所の由来

古代より海の道の要として、また日本の 窓口として大海原のむこうにある異文化の国々と交流してきた五島列島には、とても多彩で個性豊かなものが数多く残されています。
 当地は、804(延暦23)年に、空海(弘法大師)が遣唐使の一人として最後に旅立った地であり、五島列島には、大師ゆかりの地として、数多くの伝説なども残っています。特に、五島八十八ヵ所札所は、寺院が三十ヵ寺、そして五十八ヵ所が地蔵堂や観音堂などで、寺院のうち十二ヵ所が真言宗、十八ヵ所は浄土宗と曹洞宗で、宗派に関係なく札所は島の各地に点在して います。
 1番札所である明星院は、806(大同元)年に空海が唐から帰国した折に参籠し、一条の喜ばしい光が差し込んだという吉兆から名づけられたといわれています。また、最後の88番札所である大宝寺も、空海が帰朝の途、この地に滞在し、日本初めての真言密教の講莚を行い、三論宗を真言宗に改宗したと言われている寺で、ここが結願となっています。

 五島の札所巡拝をされる方は、四国と比べると、こじんまりとした地蔵堂や観音堂が多いという印象を受けるかと思います。しかし、誰でも受け入れてくれそうなこの素朴さに、近年、安らぎと癒しを求める巡拝者が増えつつあります。

明治19年明星院文書「八十八ヵ所」について

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己断の人(自己の欲望を断った人)となり、心底か ら四悪趣に堕落することもなく、現在も次代も良い むくいを受けることも無い。
この理由で、誓願者があって当島(五島)に新四国札所を設置して、旧領主累代(歴代)の菩提(極楽往生を遂げること)、特に、盛成公、盛主公の御息災(ご無事)と延命、御家運の長久と御子孫の繁昌をお祈り申し上げ、下々のすべての人と良縁を結ばせる ために、こうして新四国札所を設置したのがその理由である。
即座に、末代有縁(末の世まで仏の縁につながる)の大導師である 高祖大師(弘法大師)に値過(出会えること)することこそ、たいそ う喜ばしいことです。
あなかしこ(謹んで申し上げます)
※居士(こじ)=出家しないで仏の道に志す人

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