Placeholder image

第7番札所

くぎやまじぞうどう

久木山地蔵堂

●住所:長崎県五島市吉田町久木山
●本尊:地蔵尊
●脇仏:お大師様
●真言
 おん かかかび さんまえい そわか

◆手洗い/無、トイレ/無、駐車場/無 ◆場所
久木山公民館の交差点をを曲がると7番札所がある。さらに坂を上ると6番札所がある。

鎮守堂を掃除する時一緒に月一回掃除をし、酒を供えているということです。


名所・旧跡
*明星院一夜住職の墓 1634(寛永11)年、第22代盛利の時代、五島家の宇久での菩提寺である東光寺住職順堯和尚は女犯の疑いをかけられ、召し捕りに来た船を前にして東光寺に火をつけ自害した。そのとき「大久保末代、殿七代」と、呪いの言葉を吐いたという。この呪いの故か、藩主には短命の者が多く、天変地異もこの和尚のタタリとされた。
第25代盛暢(もりのぶ)の弟又次郎は大坂で出家し大僧都(だいそうず)の位にまでのぼったが、病をえて五島へ帰って来た。彼は久木山に「大聖院」を建てて順堯の霊を弔っているうちに病が重くなり25才で亡くなった。盛暢は又次郎の生前に19代明星院住職の印可を与えた。それも、ただ生前一夜のみであったから「明星院第19代一夜住職」という。五島において大僧都の位までのぼったのはこの人だけです。現在大聖院はない。墓は畑の隅にあり「大聖院了順大僧都」と刻まれている(福江市史)→しかし、墓には「大僧都了順大和尚」とある。

*福江市史に「久木山の里は山深く、かつては福江城下の薪炭の供給地であった。その開発は元和の終(1620年代の初め)頃から始まったが、寛永八年(1631)、文禄の役(1592~1596)での捕らわれ人、役仁右衛門一統の入植によって開発が進んだ。」とあります。

*五島編年史寛永八年(1631年) 「冬、朝鮮役ノ捕レ人、役仁右衛門久木山ニ来リ住ス、今、コレヲ以テ久木山部落開拓ノ祖トナス。高麗ヲ以テ姓トセリ。尚、小浦ト改メタル者アリ。 クギ、久木山ハ全国ニ散在シ、モト燃料採取ノ地ナラン。県下ニ又、壱岐、口ノ津等ニモ同名ノ地アリ。」

Placeholder image

 写真をクリックすると拡大します。

Placeholder image
Placeholder image
Placeholder image